マイナスから始まった関係は惚れるまでの伏線

思い出がふと蘇ってくる瞬間は誰にでもあると思う。小説を読んでいて、音楽を聴いていて、映画を観ていて、街中で匂いを感じて

 今小説を読んでいて「太宰は組んだ足を上げて」という一文でAのことを思い出した。

 Aとは大学の時に出会った。一年休学して海外をふらふらしていたらしく学年は同じだけど年はAの方が1つ上だった。そして私は彼にぞっこんだった。

 Aと初めて会った時、彼は教室の机の上に足をあげていた。なんて品がない奴なんだろう、それが彼の第一印象だった。その光景から苦手だと思ったが話してみるとこれはこれはますます苦手だと感じた。高飛車、生意気、礼儀知らず、イキり野郎、自信満々、高慢、媚びない、でも顔は馬みたいで間抜け。これらは私が彼と初めて会って二言三言交わした後の感想だ。とにかく彼は今まで出会ったことがないタイプだった。そして私はとにかくAみたいなタイプが苦手だった。きっとこの人友達少ないんだろうなと心の中で哀れに思った。

 色々ありAと接点を持つようになって、Aが考えることや言うことが的を得ていてかつ私にはない考えを披露するのでAに興味を持ち始めた。1番最初がマイナスからのスタートだったから、Aが普通のことをしただけでもそれが加点され惹かれていった。ちょろいな私よ、盲目だったな私よ。

彼は起業思想が強くてチャレンジ精神も旺盛だったから将来きっと面白いやつになるに違いなと確信していたのだけれど現在、彼は普通の生活を送っているようだ。都会でサラリーマンとして。そして彼には学生時代から遠距離恋愛中の彼女がいたのだがその子ともまだ続いているようで私が入る余地は未だにない。せめて日本人の彼女だったらなぁとか悔しさを噛み締めつつそういうところも彼らしいと思う。

 私はいつかAと再会することを楽しみにしている。なんか分からないけどお互いの連絡先すら知らないけれど、彼とはこの先必ずどこかで会うような気がしている。その再会時、私はもっと彼に惹かれるのかそれとも冷めるのか不安だけど楽しみにしている。

ただ一つ言えるのは、再会した時Aが私に憧れを抱いて欲しいと思った。昔は私が一方的にAに憧れるばかりで、相手にされていなかったが今度は私がそう思わせる番だ。だから今から何事も頑張らなくては、とメラメラ情熱に燃えている。

だから早く会いに来てよA

お前のこと全然タイプじゃないし唆られないから失せろよクソ

女に生まれると外見で判断されることは避けられない。男もそうだと思うけど女ほど身なりに気を使わなくても嫌な思いも苦労もしない。

 友達と街を歩いていると、すれ違う男の目がみんな友達を見てる。私とは全然目が合わない。通りすがりの男2人組におい、あれどう?いや無理無理!という会話を浴びせかけられる。これ、今思い返してもイライラするな笑 こっちもお前らのこと無理に決まってんだろクソ。

 顔が整っていない、体型が標準じゃない、服装が今時じゃない、そんな理由で私という人間を判断される。それがすごく悲しく悔しいのだ。社会的地位のある仕事をしていようが、料理をうまく作れようが、学歴が良かろうが、芸術に対する造詣が深かろうが、私の外見が普通以下ならそれで終わり。仮に私という人間が賢く面白かったとしても外見が終わっていればそれを知ってもらうことはない。阿呆らしい。馬鹿らしい。

 自分を選ぶ側だと思っている人間にバチが当たればいいのに。大して存在意義がないくせに選ぶことと口は一丁前のお前らが来世はドブ川のヘドロに生まれればいいのに。それかもういっそ全人類着ぐるみ着て生活するのが普通になればいいのになぁーーーーーーーっていう無理な願い。

ゴールへは最短距離で全速力

眠れない夜は考え事が捗る。考え事があるから眠れないのか、眠れないから考えてしまうのか。

 気分があまり良くないから考え事も良くないことばかり。さっきまで、今までの人生の失敗をずっと思い返していた。

 初めて、悔しい私の人生はこんなんもんかー終わってるなーと思ったのは大学入試の時。第一志望と第二志望に落ちた。そして第三志望に進学することになった。

 当時はめちゃくちゃ間違った努力をしていて、何事も基礎が大事と考えていた私は、すでに理解してる基礎も含めてもう一度全部やり直してた。普通なら過去問をたくさん解いたり、ポイントになるところに時間をかける。けど私は英語で言うならbe動詞からやり直してた。そしてbe動詞のことを分かっているのに、もう一度やることによって、あれこれなんだ?と疑問に思わなくていいところの解決に時間を費やした。そしてそれを非効率だと教えてくれる人も周りにいなかった。

 不合格だった時、あんなに努力したのに神様は救ってくれないのかと思った。不幸で不平等な人生だと思った。奇跡は私に起きないのだと思った。でも今考えると当たり前だろって。間違った努力してるやつに奇跡は起きないよそりゃ。

 第三志望の学校に進学した後、やっぱりこのままじゃいけないと思って死に物狂いで勉強した。そして途中で大学を変えた。第一志望だった学校に合格したのだ。その時のことは死ぬまで忘れないだろう。奇跡だと思った。私の頑張りを日々の苦痛を神様は見てた。飴と鞭にも程がある。

 まぁ私に言いたいことは、基礎を大事にするあまり、すでに理解していることに時間を費やすのは無駄。目標には最短距離で行くのが1番賢いよってこと。なんでもいいけど例えば漢検を取るとして、日常で使われている漢字を毎日繰り返し覚えるの?無駄でしょそんなの。過去問解いて、良く出る問題解いて慣れていくのが1番賢いやり方でしょ。何においてもそれを忘れるなって。基礎は大事だけど、何かを始めるときにそれに時間取られてたら意味ないよ。

 ゴールへは最短距離で全速力でいけ。

学生時代に適切なことをしてこなかった奴は何やってもダメ

そうすべき時代に真っ当なことをしてなかった人間が苦手。もっとわかりやすい言葉ないかな。適切な時期に適切な青春を送ってこなかった人が苦手というべきか。隠キャとか陽キャとかそういう問題でもないし、どっちが良いとか悪いとかもない。

 なんかそういう機会を逃してきた人たちって変なところで自信満々で、高慢な人が多い気がする。相手のことを考えずに自分だけを優先して、自分が周りから浮いてるというか浮世離れしてることに気付いてない。それが見ててイタいし可哀想。変に承認欲求高めで、現実の世界ではチヤホヤされないからネットの世界に浸って、加工まみれの写真あげてマウンティング取って世間に必死に自分の存在アピールしてる人見ると本当に哀れだと思う。そしてそういう人たちは学生時代パッとしなかった人が多い。満たされなかった青春を大人になった今、変な形で満たしてる。気持ち悪いな。

 学生時代は毎日友達と朝から晩まで一緒。春の桜、夏の花火、秋の運動会、冬の鍋パーティー、どの季節を思い出しても友達が側にいた。とか、別にそんなことをしてなくてもいい。けど、ある程度青春と呼べるほどの生活を送ってないと大人になってからもそれに執着して、周りはもうそんな時期はとっくに過ぎたのに自分だけがそれに固執してるのが本当滑稽に見えるよ。

 だから適切な時期にバカやって無茶して今思い返すとあれは紛れもなく青春だったと思える人生を送ってこれた私を褒めてあげたい。そしてこれから出会う人もそういう人たちでいっぱいにしたい。

中毒になりそうな1人回転寿司

1人回転寿司記念日。その間初めて1人で回転寿司へ行って寿司を食べた。結構前のことなのにワクワクが消えないから記録する。

 1人で平気でご飯食べる人からすればなんてことないかもしれないけど、そのハードルが高い私にとって今回の経験は本当にワクワクドキドキものだった。

 私はずっと外で1人でご飯を食べることができなかった。ご飯だけじゃなくて、日々の買い出しも1人で行うことにとても抵抗があった。でも、働くようになって一人暮らしを始めると1人行動が当たり前で心地いいものに変わった。割とどこでも1人で行けるようになった。歳をとって神経が図太くなったのかもしれない。

 成長はしたけど1人で平気で行けるのは精々チェーンのカフェぐらいかも。今考えればがっつり1人でご飯を食べたことがないかもしれない。今回の回転寿司を除いては。

 私はもっぱらテイクアウト派で、その理由は1人でご飯を食べてるところを見られるのが恥ずかしいから。あとは単純にマナーを気にして食べるのが嫌だから。ハンバーガーは口にソースをいっぱいつけて食べたいし、ピザはろくに噛まずに3口くらいで飲み込みたいし、牛丼は音を立ててかきこみたい。これらの行為を店内でする勇気がないからいつも持ち帰りにして、家の中だけで汚く品なくご飯を食べる。

 ただ今回はどうしても寿司が食べたかった。スーパーとかコンビニのじゃなくて回転寿司が良かった。そして最寄りの寿司屋は結構距離があるからこの時期に持ち帰るのも気が引けて店内で食べた。

 数ある1人飯の中で回転寿司はなかなかハードルが高いと思う。回転寿司=子どものご飯という認識があって、いい大人が1人で回転寿司とはいかがなものか、と思っていた。けど意を決して店内に入ると意外に1人で来てる人が性別、歳を問わずまぁまぁいた。でもやっぱり、人の目が気になることは変わらない。入ってきた客は全員チェックしてしまうし、周りから私はどう見えてるんだろう、と考えながら急いで食べる寿司は誰かと食べる時より味気がなかった。でもその感情より、1人で回転寿司に来た私を尊敬する感情の方が勝ってるのでこれもまぁいい経験だと思った。

健全健全不健全

不幸な境遇の人に惹かれるのは何故。これは私の一種の性癖みたいなものだと思う。今まで付き合った人、好きになった人全員家庭環境に問題がある人ばかりだった。片親だったり、両親が揃っていても不仲だったり、そういう境遇の人ばかり好きになった。なんでなんだろう、私も同類だから波長が合うのか、それとも下には下がいると見下して自分を保ってたのか。後者だったら最悪だな。

 でも、昔から陰のある人に惹かれるのは事実。かっこいいお父さん、可愛いお母さん、愛らしい弟、大きな犬がいる家庭で醜い心を持たずただ純真に育ってきた人に微塵も魅力を感じない。もし、自分に子供ができたらそういう家庭で目一杯すくすく育って欲しいとか矛盾してることを考えるけど、恋愛となるとそんな太陽のもとで嘘偽りなくとてもいい人に育ちました、って感じの人より厳しい環境で甘えることも許されないような人を追い求めてしまう。

 でも私がそういう人ばかり好きになるのはきっとその人たちを見下してるからだ。自分より下の人間を近くに置いて、一種の奉仕活動をしてるようなもん。彼らを助けてあげて自分の正当性を保つというか、存在意義を感じるというか。あぁ、この人は私よりも可哀想な人だ、と思うことで自分自身を満たしていたんだろうな、と思った。不健全で最悪すぎる。

ダメだった無理だった

何度目かの一睡もできなかった日。アルコールとカフェインの戦いはカフェインが勝った模様です。飲む時間間違えたな。眠れない夜は何をするのか、その通り!エゴサで〜す!地元の友達から大学の友達、仕事関係の人間まで徹底的にエゴサしてやった。本当に私は学ばない。眠れない夜のエゴサほど心をえぐるものはないのに、無駄なものはないのに。

 そして今回もまざまざと見せつけられた。私がいなくても君は大丈夫なんだってこと。私は悲しい時、面白いことが起こった日、驚くことがあった日、それを真っ先に君に伝えたいと思うのに君はそうじゃない。君の隣には違う女の子がいて、日々の生活を送る中で私の存在なんて皆無。私よりその子を選ぶ。小さい頃から君のことを全部知ってるのは私だけだと思ってたのに、実際は違うみたいだ。このすれ違いって本当に辛い。

 好きのマックスが10だとするじゃん。そしたら私が君に向ける好意は10なのね。でも君が私に向ける好意は多分いいとこいって2ぐらい。私と君の間には8も差がある。私は君がいないと寂しいし、生活していく上で欠かせなくて本当に頼りにしてる。でも君は私がいなくても生活が成り立つし、私を思い出すこともないんだろう。あーしんどいなー泣けるなー

 しかもその女の子が可愛くて性格良さそうなのがまた腹が立つ。顔面ぐちゃぐちゃで性格ひん曲がってるくそ女だったらどれ程良かったか。私は飾らない彼を知ってるけれど、あなたは逆に飾ってる彼を知ってる。おめかしして2人で高級ランチとか行っちゃって羨ましい。私にはそんなチャンスなかったのに。

 身体はここにあるのに心が遠くにある時、そしてそんな彼を愛している時ほど悲しい瞬間はないだろう。そろそろ日が昇るから太陽で目を焼いてこよーっと!それぐらいやんなきゃまじでやってらんねーな人生。